慣れはこわい

先日、ずっとあこがれていた「だし」バーへ行ってきた。
その名の通り、だしを飲ませてくれるところである。
かつおだし、かつおと昆布のあわせだしなど。
紙コップに入っただし汁を、一杯100円で飲ませてくれるので、だし好きにはたまらない。

ところで、実際毎日きちんとかつお節や昆布からだしをとって料理している家が近頃どのくらいあるだろうか。
最近では化学調味料という、健康的かどうかはともかく至極便利なものがあるので、お高い本物のだしを素材からとる必要はなくなった。
せいぜい小さじ分入れればある程度しっかり味がつくし、本物のだしよりもかえって香りが強い。
だからたまに自分でかつお節や昆布だけでとっただしで料理すると、なにか物足りない気がする。

でもこれはかなり危険なサインではないだろうか。
自然なものでは満足できなくなって、より強く感覚を刺激するものを求めないではいられないという。

たかがだし一つで大げさと言われたらそれまでだけれど、生き物というのは生きていくために順応していくものである。
濃い味濃い塩分にもどんどん慣れていってしまって、すぐに物足らなくなってしまう。
慣れってこわいものだ。

このままだとどんどん自然の味を忘れていって、人工的なものにならされて、それでどんどん人間らしい生活からかけ離れていってしまうのではないだろうかと心配なのである。
ちょっとSFみたいだけれども。

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