心の盲点

目には盲点というものがある。
ちゃんと目を開いていても、一箇所見えない部分がある。
それと同じことが、心の目にも起こると思う。

心の目といっても、別に「心眼」というような高尚なことではない。
ただ単に、いつも見ているはずなのに、全然目に入らなかった、というあれである。
あまりに馴染みすぎてというか、日常の風景と化してしまっているために、ことさらに注意をひかないもの。

そんなものは、心の目には映らない。
いや、脳内の目といった方が正しいか。

これは余談だが、こころを指すときに心臓を指すのは誤っている。
心臓は心臓、こころを司っているのは紛うことなき脳みそである。
だから、「こころが」と叙述する際には頭を指してしかるべきである。
というのはあくまで持論である。

それはさておき、その心の目の盲点に、顔のほくろがある。
私には、子供の頃から顔にほくろがいくつかあった。
人より多いかしら、と気にした時期もあったけれども、それはそれということで仕方ない、と思って忘れていた。
普段は心の目に見つからずに忘れてすごしているのだけれども、どういう訳か時折ふと思い出して目に付くことがある。

ちょうど本日のことだったのだが、夜顔を洗っていたときのこと。
何だか肌が疲れているわあとふと悲しく思ったときのこと。
顔にあるほくろが気になった。
昔から多いほうだったけれども、それにしたってこんなところにはなかったというのが5、6箇所。

気づけばシミのように増えているのだった。
それが一旦気になり始めると、どうして今まで気づかなかったのかがかえって不思議なほどに気になってくる。
もしきちんと気づいていたら、対処のしようがあったのかもしれないのに、これでは今更日焼け止めを塗った所で時既に遅しではないか。

そう思って、過ぎ去った時を恨めしく感じたのである。
という訳で、やはりこころの目はいつ何時でもしっかりと瞠っておかなくてはならない、という格言的なことを、図らずも実地体験してしまったのである。

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